過去の店長日記

織物の街・桐生の歴史

桐生の歴史・作務衣と甚平

◆織都・桐生の歴史

桐生織物のおこりは、約千二百年前の淳仁天皇の時代にさかのぼります。近世にはいると幕府の保護のもと伸展し、天保三年には、桐生絹市が開始され桐生織物の基礎が確立されました。『西の西陣、東の桐生』と言われ、高級品織物を中心に、昭和初期までは日本の基幹産業として栄えてきました。染色・洗浄に適した桐生川の水や周辺に養蚕・製糸地帯をひかえるといった立地条件にささえられ、今日も織都・桐生の歴史は受け継がれています。

織物の街「桐生」

◆「白瀧姫物語」

桐生の織物には「白瀧姫物語」という伝説があります。桐生市国際交流協会ホームページに英語・日本語どちらでも読める資料が公開されております。
http://www.kiea.jp/princess_shirataki.html

◆桐生の織物の年表

714年に上野の国(今の群馬県)が、はじめてあしぎぬを織って朝廷にさしだした。
905年の制度に上野国の税はあしぎぬと定めた。
1333年、新田義貞の鎌倉攻めにおいて、仁田山紬を旗印に用いた。

1384年~1392年には、仁田山絹として他国にも流通し始めた。
応仁の乱により、衰退。
安土桃山時代には、少しずつ盛り返していく。
1600年、徳川家康が小山にいた軍を急に関ヶ原へ返すとき、急使を送って旗絹を求めたが、わずか1日ほどで2千4百10疋を天神の境内に集めて納めた。このことが織物生産地としての桐生の名声を高めた。

1661年~1680年になると、機業を仕事とする者が多くなり、京都、大阪、江戸や他の国々との取引も盛んになったので、1738年2月には、はじめて絹市場が開かれた。
1738年織工を雇い入れて、流行を先取りする新しい織物を作り、莫大な利益をあげた。市は、言葉に言い表せないほどに賑わった。
時代の変化にしたがって技術も進み続け、年ごとにすばらしい絹が生産されたので、桐生の名は高まっていった。
織物の街「桐生」

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