粋について考えてみる話


皆様は、“粋”という字にどんな印象を持たれるでしょうか?「和粋庵」の「粋」は、「すい」と読みますが、広く使われているのは、「いき」という読み方の方かと思います。

同じ「粋」で、「いき」とも、「すい」とも読む。この2つの読み方には、どのような意味があるのでしょうか?また、どんな違いあるのでしょうか…?今回のお話で、その疑問をほんの少し解消していきたいと思います。

それでは、まず“粋(いき)”と読むときの意味から。“粋(いき)”は、本来“意気”と書きます。

さっぱりとした気立てで、あかぬけがし、色気(いろけ)もただようこと。そういう感じのする身のこなし・様子。人情の機微に通じ、さばけているさま。

…このような意味があります。

“粋(いき)”は、ちょっと洒落た褒め言葉として使われることも多いですよね。『粋だねェ』なんて言われると、ちょっぴり誇らしく、嬉しい気持ちになっちゃいます。

次は、“粋(すい)”と読むときの意味を見ていきましょう。

まじりけのないこと。また、そのもの。純粋。すぐれているもの、えりぬき。世情や人情に通じ、ものわかりがよく、さばけていること。

…このような意味です。

「いき」と「すい」は、どちらも、”通(つう)”と並ぶ、江戸時代における美意識を指す言葉だそうです。

言われてみると、「いき」と「すい」の意味どちらにも、「人情」という言葉が入っていますし、「さばけている」という言葉も入っています。情に厚く、でもサッパリとしている人。いかにも「江戸っ子」といったような、気持ちの良い印象を抱きますね。

調べ進めて気になったのが、粋(いき)は、“息”に通じ、粋(すい)は、“吸”に通じるという内容。

呼吸をするとき、一度身体に取り込んだ空気は、「取り出す」からこそ「息」になります。つまり、マイナスの属性。「吸う」ことは、空気を身体に「取り込む」こと。つまり、プラスの属性。取り出すことと、取り込むこと。そう考えると、「いき」と「すい」は、正反対の属性を有しているんですね。

これには驚きました。同じ時代の“美意識”を指す言葉でありながら、その意味合いが全く異なるのは、面白いです。

「取り出すこと」は、もう少し踏み込んで考えると、「吐いていく、削除していく」、余分なものを「削ぎ落としていく」…とも、考えられます。

削ぎ取るからこその美と、取り込むからこその美。「いき」と「すい」が、それぞれ持つ美学の方向性。

考えてみると、和粋庵の目指す「粋」には、どちらの意味も含まれています。

余計な装飾は用いず、スタンダードな作務衣の形で、シンプルな機能性を追求すること。『削ぎ取るからこその美』。

最新の技術であつらえた生地を用いることや、デザインに細やかな変化を持たせること。『取り込むからこその美』。

和粋庵の作務衣で、そんな粋を纏い、楽しんでいただきたい。それが日常になり、やがて自分らしさになったら、とても素敵ですよね。


今回は、「粋」という一文字が持つ、「いき」と「すい」の意味についてのお話でした。

色々と調べてみて感じたのですが、本当に言葉というのは奥が深く、単語ひとつをとっても、多くのエピソードを内包しています。長い歴史・時代を経て、その姿や意味合いは変化しているかもしれません。

ですが、受け継がれた言葉を、時を越えて『尊い』と感じる人がいる。その心は変わらない。それこそが、真に大切なことではないのかなぁ…と思うのです。

詩人・相田みつをさんが遺した作品に、「一生勉強、一生青春」という一編があります。これからも、和粋庵の思う理想の“粋”をカタチにしていけるように、日々励んでいきたいなと思う、今日この頃です。

それでは今回はこの辺りで。どうぞ、よしなに。

《記事作成にあたり、参考にさせていただいたもの》
コトバンク 「粋」の項目
杉浦日向子他「大人の学校 卒業編」(静山社)