桐生織 – 歴史と伝承が織りなす伝統工芸 –

古くから日本を代表する織物である『桐生織』。このブログでは、私たちが誇る桐生織物をその1300年に及ぶ歴史と古来より伝わる伝承を通してご紹介いたします。

絹織物で有名な桐生

和粋庵の本社、自社工場、そして実店舗がある群馬県桐生市は、古くから日本有数の絹織物の産地として知られています。その歴史は古く、桐生織物に関する最古の記録は約1300年前に編纂された『続日本紀』にまで遡ります。そこには、奈良時代の714年、上野国(現・群馬県)から「あらぎぬ(あし絹)」が朝廷に献上されたという記述が残されています。また、江戸時代には「西の西陣、東の桐生」と謳われるほど、桐生織物の高い技術と品質は広く認められていました。今もなお、その伝統と技術は桐生市の文化と繊維産業を支えています。

また、桐生織物は日本の歴史において、重要な役割を果たしてきました。1600年の関ヶ原の戦いでは、徳川軍が掲げた旗絹はすべて桐生で織られたものと伝えられています。記録では、桐生地域の54の村々が協力して1日に2410枚の旗絹を織り上げ、徳川軍に献上し、戦いに大きく貢献したといわています。そして、関ヶ原の戦い後、桐生周辺の地域は徳川幕府の庇護を受け、美しい桐生川の水と豊かな自然を生かした養蚕が盛んにおこなわれるようになりました。特に、桑の葉の生産に適した肥沃な土壌と、大陸から日本に入り始めた高度な養蚕技術の導入により、桐生は高級絹織物の一大産地へと発展していきます。

明治に入り、桐生で作られた絹織物が横浜港から海外に輸出されるようになると、桐生織物は日本の外貨獲得と地域経済の繁栄に大きく貢献することとなります。

この時期、繊維産業は手織り機から洋式織機へ、小規模な家内工業から大規模な工場製手工業へと移行し、生産性も生産範囲も拡大しました。

現在、第二次世界大戦で大きな被害を受けなかった桐生市には、この時代の繊維産業に関する建物が数多く残っています。これらは日本の近代化において極めて重要な建築物であるため、桐生市は1992年にそれらを「近代化産業遺産群」として指定し、その保存と活用を進めています。

機織工場のこぎり屋根
旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟

桐生織の発祥と白瀧姫伝説

桐生には、平民の青年と都に住む美しい姫の恋物語が「白瀧姫伝説」として残されています。そしてそれは、桐生の織物文化の礎であり、世代を超えて今もなお私たちに受け継がれています。

平安時代初期、桓武天皇の統治する時代。上野国山田郡仁田山(現在の桐生市川内町)に住む若い農民の青年が朝廷に仕えることになった。ある日、青年は宮中で美しい姫を見て一目で恋に落ちてしまう。彼女の名は白瀧姫。しかし、身分の違いからこの恋は許されるものではなかった。それでも青年は姫への思いを断ち切れず、遠くから密かに姫を見つめる日々を送っていた。

ある日、両者の身分の違いを思い出させるかのように、白瀧姫は青年に宛て一首の和歌を詠んだ。

「須弥山の 山より高く 咲く花を 心がけるな 山田奴め」
“ああ、あなたのような田舎者が、なぜ須弥山より高く咲く花に手を伸ばそうとするのでしょう”

しかし、平民であるがゆえに教養がないと思われていた青年は、これに見事な和歌を詠んで返した。

「日照りて 山田の稲も枯れ果てる 落ちて流れよ 白滝の水」
“日照りのせいで、山田の稲はすっかり枯れてしまいました。ああ、白滝の水よ、どうかその豊かな水で田を潤してください”

白瀧姫は青年の返歌に心動かされ、次第に惹かれていった。二人の恋の噂は宮廷中にも広まり、青年は再び天皇の御前で和歌の才を披露し、優れた歌人として認められるようになった。そして朝廷の許しを得て、青年は白瀧姫と結婚し、二人で故郷の上野国に戻った。

白瀧姫は次第に上野の土地に慣れ、都で学んだ養蚕・製糸・機織りの技術を村人に教え始めた。白瀧姫の教えにより、村の多くの女性が機織りを始め、その技術は瞬く間に広まり、織物はこの地方の特産品となった。

川内町は桐生織物発祥の地とされ、白瀧姫の名は織物の技術と繁栄をもたらしたシンボルとして語り継がれています。この美しい愛の物語は「白瀧姫伝説」として今も人々に親しまれ、桐生の誇りとなっています。

白瀧神社

白滝神社社殿

桐生市川内町(旧山田郡)には、白瀧姫が織物の女神である天八千比売命(あめたなばたひめのみこと)を祀るために創建したと伝えられる白瀧神社があります。この神社は、桐生の織物文化と深く結びついており、地元の神道信仰の中心にもなっています。

境内には「神楽殿」と呼ばれる神楽を奉納するお堂があり、市指定無形民俗文化財の「白瀧神社太々神楽」(しらたきじんじゃだいだいかぐら)が奉納され、伝統芸能として今に伝えられています。また、役目を終えた縫い針を豆腐に刺して感謝を捧げる「針供養」が行われる針塚もあり、人々の生活と機織が密接な関係にあったことを思わせます。

神楽殿

後年、白瀧姫自身も祭神として祀られるようになり、織物の神様として広く崇敬されるようになりました。また、神社には「降臨石」と呼ばれる石があり、白瀧姫の死後、その遺骸を埋葬した場所と伝えられています。

その昔、この石に耳を当てると機織りの音が聞こえていたという言い伝えも残っています。

降臨石

桐生織
-伝承と信仰が息づく桐生の地-

桐生川源流

白瀧とは、「白い布を垂らしたように流れ落ちる滝」を意味します。白い布は神道における神聖な場所を象徴し、風になびく布が神々を招き寄せると信じられています。

白瀧神社に祀られているのは、桐生の織物を見守る二柱の女神、天八千比売命と白瀧姫。桐生で育まれた織物文化を象徴する女神たちは、織物産業を支える人々の信仰の中心であり、その信仰は桐生の歴史と文化に深く刻まれ、桐生の繊維産業を支える人々の精神的支柱であり続けています。

桐生織正絹シリーズ

8006 桐生織 正絹作務衣(総裏)

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