過去の店長日記

桐生と横浜の意外な関係?桐生に横浜銀行がある理由

こんにちは、和粋庵のデザイン制作担当北村です♪
先日、正絹作務衣のページを制作していた時に「絹」について改めて勉強していました。
和粋庵のある群馬県桐生市は「西の西陣東の桐生」と言われるほどの絹織物の産地なのです♪
桐生と絹の関係について調べていると何やら興味深い文章を発見。
「群馬銀行(群銀)と横浜銀行(浜銀)には深い関係がある」とのこと!
確かに桐生のメインストリートには横浜銀行があり、前を通る度に「何故こんなところに横浜銀行があるんだろう…」と思っていました。今日はその事についてわかるところまでですが調べてみたいと思います。

日本と生糸貿易

さて、群馬県と神奈川県の関係を探るには、生糸産業と銀行の歴史について触れなければなりません。

ペリー来航により200年余りの鎖国を終えた日本。1859年に横浜が開港します。
当時のフランスでは微粒子病と呼ばれる蚕の病気が蔓延し、蚕や生糸が不足していたこと、以前は国内だけで流通していた生糸などの産物を、江戸や大阪を介さずに直接横浜へと持っていくことによって国外へと流出したことなども関係し、生糸や蚕の品不足によることから日本の絹産業はとてつもない飛躍を遂げました。
江戸幕府は物価を統制するという名目で1860年(開港から2年目ですね)五品江戸廻送令を出します。この五品の中には生糸も含まれ、これを直接横浜に出すことを禁じました。
ですが、やはり蚕のような一次産業は天候に左右されることもしばしば。収穫した繭の量が少なかったり、品不足から多くの傷害事件が発生したり、五品江戸廻送令は1864年には終わってしまったそうです。

群馬銀行と横浜銀行の関係とは?

ここでようやく本題に入ります!
時代は明治時代に突入し、江戸は東京と名を変えました。鉄道や郵便などの西洋文化が徐々に日本に浸透してゆきます。お金の単位も1871年に「両」から「円(銭、厘)」へと変わりました。
横浜が開港した時、最も大変だったのは、日本に銀行がなかったことでした。
そこで、東京、大阪、横浜に商法司(しょうほうし)という銀行のような金融機関を設けました。
その後、商法司は通商司や横浜為替銀行と形を変え、1872年に国立銀行条例が公布され、生糸生産振興を目的とする横浜第二国立銀行が設立されました。これが後の横浜銀行になる銀行の一つです。
また、横浜銀行の母体である横浜第七十四国立銀行(1878年設立)は、群馬県出身者が経営陣として名を連ねています。高崎出身の茂木惣兵衛(もぎそうべえ)は横浜為替銀行の頭取、第二国立銀行の副頭取さらに第七十四銀行の頭取になりました。
この頃、群馬県の生糸の生産量は全国1位。群馬県で生産された絹織物を横浜へ輸出するにあたって丁度良かったというのもあるかもしれません。そのため、高崎や前橋、桐生にも支店を開いていたのです。

まとめ

今回はいつもの内容と少し視点を変えて書いてみました♪
抜けも多々あるでしょうが、生糸貿易と銀行の歴史から群馬と神奈川の関係を少しだけ探ることができたのではないでしょうか。
また、貿易のルートを探ってみると、その土地の産地や鉄道など様々なことがわかって面白いと思います。皆様も群馬にお立ち寄りになった際には是非由緒ある桐生の街並みを散策してみてください(*'▽')

それと!本日は作務衣川柳の締切日!
おかげ様でかなりの数の川柳が集まっております♪お楽しみは後にとっておくタイプなので、まだあまり目を通していませんが、心温まるエピソード、和を感じる一句、ウィットに富んだ一句、仲睦まじい夫婦や家族の一句、様々届いていると聞いております。本日最終日も皆様の一句楽しみにしておりますので、何か思いつきましたら是非和粋庵宛に渾身の一句を送ってくださいませ♪

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